Be With Produce KIRALAN VOICE LAND VOL.16 『Spiral』考察・感想 演出面・演技比較

個人的な感想と考察です。

 

 

 

《演出面》

 

 

 

  朗読劇『Spiral』の世界は、モニターの映像と効果音、照明演出のシンクロによって、リアルな異空間が生み出されていました。モレラの森の中を歩いてるときの砂利道を歩く足音の効果音、不気味な木々の上から覗く満月の映像は美しかった。

とくにエリクサーがゲシュペント村という亜空間へ迷い込むシーンでの役者がライトを歩き渡り風のSEと映像を回転させる演出は、会場にいる全員が『Spiral』の世界へ惹き込まれていたと思います。

個人的に大好きな演出が、最初のエリクサーが世界観の説明を語っているシーンの「モレラの花が赤いのは~」で映像で赤い花が一輪ずつinしてきてじわじわと照明で赤く染まっていくところです。あの演出はとても不気味で素晴らしかったと思います。

 

 

 

  今回、初めてヘッドセットマイクを使用していたので良かった点と悪かった点(主に役者さん側)がありましたが、個人的にはマイクの使用は微々たる演技の変化も聴こえてとても良かったので今後も継続して欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

《2人の演技比較》

 

 

 

  ずんたさんは、客席の方向を話し相手と仮定して演技するタイプの役者さんらしく、話す時は前を見て話すので、表情の演技がよく見えてよかったです。演技する方向に限らず、ずんたさんの演技は観客に分かりやすい、伝わりやすい演技だと思いました。演技で動くところではしっかりと動くが動かないところではまったく動かないメリハリがちゃんとしている、と言いますか。

 

 

 

  熊谷さんは、ずんたさんとは真逆で話をする演技の相手本人を観て演技するタイプでした。特出すべき点としては、エリクサーのときの食事のシーンの演技が天下一品だったなぁと。パンや肉を口に含んで咀嚼して食べながら話して飲み込んでまでの表情と口の動きと口で発せられる食事の音がリアルでしたね。紅茶も啜る音とカップを手に取る動作が良かったです。また、紅茶を高い位置から入れる手のモーションが綺麗でした。前に三木さんのラジオの公録でその場でガタガタ震える手でコーヒーを淹れてたのを思い出します。そういえばくまエリクサーの言い回しが幾度となく三木さんの演技の仕方に似ていた気がしました。

脱線しました。紅茶のカップを手に取る動きで 思い出しましたが、熊谷さんは手での表現がずんたさんに比べると多く取り入れていらっしゃったと記憶しています。紅茶のカップやレイスに絵本を手渡すシーンで絵本を差し出す、またレジュメルスとしてずんたエリクサーを訪ねてきた際に扉をノックする動きもされていましたね。

 

 

 

 レジュメルスで言えば、ずんたさんは高貴な育ちが漂う老年の男性で、熊谷さんはおじいさんという印象の演技でした。

 

 

 

①エリクサーとレイスが最初に出会うシーン。

レイスの出現に驚いて一時停止したエリクサーが、レイスの容姿や特徴をまじまじと観察して、あれっこいつもしかして?と疑問が確信に変わる心情の移り変わりがあったと思います。ずんたさんは、一時停止、顔や目で観察⇒疑問を表現、確信をしたとたん前に一歩踏み出す、という演じ方をされていました(多分)。一方で熊谷さんは、相手を見て訝しげに表情の変化と上半身を動かされる表現方法でした。

 

 

 

②「おーいおいおいおいおい」

それぞれの演技の特徴が分かりやすく出ていたんじゃないかなと思う台詞。熊谷さんは台詞をそのまま捉えて発している印象、ずんたさんは一つ一つ間や緩急をつけて疲れた演技をされていました。個人的にはこの台詞の熊谷さんの言い方が好きだったんですが、舞台で演じるという点ではずんたさんがさすがの技量を発揮されていたと感じました。舞台上での身の振り方が分かっている、安定感のある演技だったかな、と。

 

 

 

個人的に素人の目から見た感想ですが、今回のキャストは、じつに分かりやすく違った演技の仕方をされるお2人だったと思います。だからこの2人だったというのもあるんじゃないかなーと、観劇した今だから感じます。

 

 

 

今回は、朗読劇にしかできない、限られた範囲での演技が観られてよかったです。2人での朗読劇というものは、どうしても2人でしかも同じ役を交換するので演技を比較してしまうところで、それぞれの演技の特徴や癖、言い回しの違いが見られてとても面白かったです。また今後も『Spiral』の世界が別の役者さんによって表現されることを願っております。本当に、今回は推しの演技をじっくりを拝見できるいい機会でした。長々とありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

追記:以下、なんか書いてたら筆がのってしまった何か 

 

《生の演技の魅力》

 

 

 

本人が本人として登壇するイベントやニコ生はもちろん大好きです。噛み倒したりすぐ顔を赤くしたりやけっぱちになったり共演する人によって見せてくれる色々な表情を見るのはたいへん幸せです。ですが、私は役を演じて舞台に立つ推しを見聞きするのが一番好きなのです。いつもは謙遜して腰の低い推しが、別人の人生を背負って舞台の上で輝く姿が大好きなのです。そこにいる推しは、本当に別人の、その役そのものです。そういう姿を見ると、ああやはり推しは役者なのだなぁ役者が向いているんだなと思うし、これからも色々な人の人生を推しを通して見ていきたいと決意を固められるのです。普段、私が見聞きしているアニメやCDなどの作品はだいぶ前に収録されて推敲された、完璧な状態で私たちに届けられます。しかし舞台は生ものです。その日その瞬間に完成します。生ですから、完璧なものでは決してありません。本人たちが完璧だと思って臨んでも、失敗することなんてザラです。ただ舞台では、失敗したとしても、それもまた舞台のひとつの魅力だと私は思います。失敗をした時点で、間違いなく劇場にいる誰かが気付いて空気が変わることでしょう。それって、役者という1人の人間が観客に何かしらの影響を与えたってことになりませんか?その場でお互いの何も知らない他人同士が、ことばも介さずに繋がったんです。 もちろん胸糞悪くなったり集中力が途切れて飽きてしまったりすることもあるでしょう。でもそれは、その場にいる人にしか分からない、貴重な感想です。レポで読んだとしても、実際どれぐらい飽きてしまったとか気持ちの変化があったとかなんて、そこにいないと、本人にしか分からないのです。舞台は言葉では伝わらないのです。何が言いたいかというと、私は舞台が好きというだけの話です。なんか筆がのってしまったので舞台の良さを語ってるだけです。私はこれからも朗読劇はもちろん舞台で活躍する推しを見ていきたいし、そういった場が増えるようにこれからも応援していきたいです。なによりも、推しの大好きなお芝居をもっと出来る場が機会が増えていきますように。

 

Be With Produce KIRALAN VOICE LAND VOL.16 『Spiral』考察・感想 1日目・2日目 3回目

《1日目・2日目 3回目》

 

 1日目

 

エリクサー:熊谷さん

レイス:ずんたさん

 

2日目

 

レイス:ずんたさん

エリクサー:熊谷さん

 

 

 

結末:エリクサーとレイスは同一人物のなかの人格。レイスが主人格でエリクサーに探偵という役割を与えて色々な問題を解決させたり、用済みのほかの人格(レイスの母親・村長・黒猫・ゴースト)を殺させた。レイスが「飽きちゃった」ので、エリクサーも消された。

 

 

 

幸運なことに、3回目は両日観ることが出来ました。

 

  くまレイスは幼い話し方でずんたエリクサーとは結構な年齢差を感じたので友達…?という感じでしたが、くまエリクサーとずんたレイスは親友ぐらい仲がいい印象でした。ずんたレイスが距離感を詰めると言うか人を絆すのが上手い。嫌でも親しみを感じてしまいました。そういえば、そもそもエリクサーはレイスの人格の1つなんだから人格掌握のコツなんてよく分かってるはずだから仲良くなれるのなんて当たり前なのか。

 

じゃあそもそも思い通りにならなくなった時点で殺しておけば良かったのでは?と思うけど、たまに怒りに身を任せてとんでもない行動に出ちゃう、みたいな感情の暴走を止められないこともあるので、そこまで完全に掌握は出来ないのかな~とも思うけど、レイスの最後らへんの余裕っぷりを見る限り、主人格という権利は絶対的なものなんだと感じました。

 

 

3回目のくまエリクサーは「母さんの首が入っていた…!」の台詞のところでニヤァッとしたので狂気を感じました。そのあとも、そうだよ俺がやってやったんだって感じで言葉と感情の高ぶりを進めていったので、もともとレイスのそういった感情の役回りを与えられた人格だったんだなぁと。その狂気じみた演技のおかげで、本当のネタバラシをされたときの手のひらで転がされる操り人形感がより濃く出ていたと思います。

 

朗読劇なので大きく動いたりそれぞれのスポットライトから出て演技することはありませんでしたが、台詞と表情と限られた範囲のなかでの表現を観ていて、ずんたレイスがくまエリクサーの肩をガッと掴んで煽ってる勢いを感じました。

 

 

 

一方でずんたエリクサーは、ずっと驚愕の事実に戸惑っている感じだったから弱々しい感じがしました。本当に俺がやったのか?現実を受け止めきれていない様子でした。自分が殺した事実や自分が自分のものではない恐怖に怯えている感じ。もしかしたらくまエリクサーが強い破壊人格で演じてきたので違いを出すためにずんたエリクサーは弱い人格で演じたのかもしれない。

ずんたエリクサーは抵抗心などあまり感じられなかったので、くまレイスに完全に遊ばれているイメージでした。

 

なんとなく、蹲っているずんたエリクサーの隣に座って下から顔を覗き込んで、はしゃいでるくまレイスの図が脳内で想像できました。

 

  

 

3回目はお2人とも、それぞれレイスに対する解釈や演技が違っていてとても良かったです。

 

 

 

とくに、自分こそが主人格であるとバラすシーンで演技の仕方が違ったと思います。ずんたレイスは、くまエリクサーの感情に合わせてときには声を荒げて煽り立てて追い詰めていましたが、くまレイスはひたすら楽しそうに遊んでいて、子供が言い訳をするみたいな無邪気さと冷酷さが見られてほんと良かった。

「ごめんね」と「彼のピアノを聴いていると心が安らいだ」という台詞の言い方が可愛すぎて死ぬかと思いました。

「飽きちゃった」の言い方は、ずんたレイスの完全に吐き捨てるような言い方が大好きすぎるのでもう1回言って欲しいです。

くまレイスの、あえて区切らずに言い流すニュアンスも、本当に飽きちゃったんだなって感じで好きでした。

 

 

 

3回目のずんたレイスは、座り方が1・2回目と違って足を投げ出して背もたれに背中を預けて本当に友人の前で気を抜いたような座り方をしていた気がしました。

 

 

 

ところで、レイスの母親の名前は3回目でしか明かされませんでしたが、おそらくエリス・ドレーンだったと思うんです。エリスという名前で調べてみると、ギリシャ神話の不和と争いの女神がヒットしました。戦いを好んだ女神だったそうで、優しく聖母のような母親にこの名前を付ける脚本家さんほんと。まぁこの脚本家さん付ける名前の意味がだいたい直球過ぎて調べれば調べるほどしんどくなるんですけど。

 

 

 

そういえば3回目のずんたエリクサー、黒猫をじゃらしてるときの方向がくまエリクサーとは逆方向だったな、と思い出しました。ちょうどライトから外れた暗いところに向かって演技されていたので、草むらに見えて良いアレンジだったなと思います。そのあとくまレイスがずんたエリクサーが黒猫をじゃらしていた逆方向から出て来るので、個人的には観客を飽きさせない変化をつけてて好きでした。

2日目の1・2回目はどうだったのか分からないので、くまエリクサーと分かりやすく対照的にさせるためにやられていたのかもしれませんし、3回目の結末の1人の人間という点から対照的に見せたかったとも考えられますね。お互い同じ役を演じるにあたって意識した点なども知りたかったです。

 

 

 

ところで七人の勇者の話が出てきたけど、3回目に出てきた人格もちょうど7人だなぁと。村長・レイスの母親・黒猫・ゴースト・エリクサー・レイス。別に意味はないと思うけど、お互いを消し合うという展開としてはレイスの先が見える気がした。

 

 

次は本当に個人的な感想と考察です。

Be With Produce KIRALAN VOICE LAND VOL.16 『Spiral』考察・感想 1日目2回目

《1日目2回目》

 

エリクサー:熊谷さん

 

レイス:ずんたさん

 

 

 

〇結末〇

エリクサーは時間旅行者だった。しかし時間旅行をする座標はちぐはぐで、エリクサー自身は時間旅行をするたびに記憶を失う。レイスが出会ったゴーストは、エリクサー。5歳の時に初めて会ってから、何度も村を訪れて紅茶の木から紅茶が取れること、星の伝説、美味しい紅茶の淹れ方、色々なことをレイスに教えてくれた。レイスの母親とレイスと3人で仲が良く、エリクサーはレイスの母親と、またゲシュペント村へ来られるようにと、大切な指輪を証として高台で約束をした。しかし、そこへレイスの母親と無理心中をしようと村長が襲いかかり、母親を守ろうとレイスが村長めがけて刺したナイフは村長が身代わりにした母親の胸に突き刺さった。そして20年間、何故かレイスはエリクサーが母親と村を焼き払った犯人だと思い込んでエリクサーを探し回り、ついにモルグで探偵をしていることにたどり着いた。そして自ら、レイスの父親と偽って演技をしてゲシュペント村へまた時間旅行をするよう仕向けた。レイスに記憶を思い出させられたエリクサーは混乱するが、母親を殺したのはレイスだと説得し、再び自分が時間旅行をしてレイスの母親が死なない未来に変えると言い高台から飛び降りた。そして、2人はゲシュペント村で再会した。レイスの母親が生きる未来で。

 

 

 

  実のところ、2回目で大満足して帰ってもいいぐらいの完成度のストーリー構成でした。個人的にループものと記憶喪失ものが大好きなので性癖に刺さったところがでかいです。すべてのルートのなかでは、唯一のハッピーエンドいや唯一希望が見える結末だったと思います。

 

  くまエリクサーは適当な探偵の印象でしたが、2回目では意外と博識だし変なこだわりや自分の信念は曲げない実は熱い男ですごく好きでした。

 

  くまエリクサーのことが憎くてしょうがないずんたレイスの演技が良かったです。推しの演技も見てみたかった。そこから、くまエリクサーに20年前の真実を突き返されて、取り乱す様はまるで、幼い少年のようでした。彼の時間は、20年前から止まったままだったのかもしれないですね。

 

 

   2回目のずんたレイスは終盤のネタバラシまで仇の相手としてエリクサーを捉えてるからか、笑顔とか口調が堅い気がしたけど、最後の再会シーンでは初めてあったはずなのに本当の友達のように優しくやわらかい微笑みに見えた気がしました。最後の再会シーン本当に良かった。短時間の映画を見たような満足感でした。最後のシーンでお互い名前を名乗ってたけど、そういえば2人ともフルネームは知らなかったんじゃないかな。

 

 

  いやでもまさかレイスが初めて描いた絵本の中に出てくる「飛ぼう、いま飛ぼう」をあそこで回収してくるとは思わなかったし、何かくまエリクサーが時間旅行をして歴史を変えると決意したぐらいから少年漫画みたいな熱い演技と展開でめちゃくちゃ満足でした。

 

 

  途中でレイスが独白していた比喩であった、新緑(深緑?)の海の底で拾い上げて照れたようにそっぽを向いた葉は、この2回目のレイスの母親と約束をして、照れたようにそっぽを向いたエリクサーのことを示唆していたんだなぁと。

 

 

  私は「木を選んでくれた人間に感謝しないとな」という台詞がどうにも引っかかっていて、今思えばわざと引っかかるような言い回しだった気もする。記憶喪失であることはしょうがないとはいえ、仇の男が自ら教えたことを忘れてまるで感謝してほしいかのように言うのだから、結末を考えるとレイスの心中お察ししました。

 

 

 

ここからは疑問に思ったことを羅列しているだけ。

 

なぜレイスはエリクサーが自分の母親を殺して村を焼き払った犯人だと勘違いしてしまったのか。3回目と繋がっているかどうか分かりませんが、人格を作り出して自己防衛をしたように、彼は自分が母親を殺した事実を受け止めきれず誰かに罪の重荷を押し付けて自分の心を守ろうとしたのではないか。だってまだ、当時の彼はおそらく5歳から10歳ぐらいの幼い少年だったのだから。

 

時間旅行の間の記憶を毎回失っている、とレイスが語っていたが、時間旅行をしていること自体忘れているエリクサーは毎回時間旅行をする方法を見つけ出すところから始めていたのだろうか。もしくは、時間旅行が当たり前の未来なのか。そもそもなぜ時間旅行をしていたのか。ところで時間旅行と聞いたとき、真っ先に私の中では、エリクサーがいた時間は科学技術が発達した近未来だと思いましたが、よく考えてみれば魔女伝説があるような世界なら、魔法があってもおかしくないですね。

 

まぁただでさえ2回目は結末で二転三転して一番文字量と展開が多く終わる時間も一番遅かったので、そんなところまで説明していたら2時間超えてしまいかねないですから、2回目の冒頭、1回目よりも話すスピードが早く感じたのはリハとかで時間がギリギリだったからかなぁとか野暮なことを観劇脳は考えてしまいました。

 

エリクサーは過ちを正すために再び時間旅行をすると決心して高台から飛び降りるわけだけど、時間旅行を終わらせるには高い場所から飛び降りるとか命の危険に遭わないといけないとかルールがあるのかなぁ。でも昔レイスと会っていた頃は音もなく消えたりしていたから、制限時間があって、途中で終了させるには命を危険に晒さないといけないみたいなものかなとかめんどくさいおたくは考えてしまう。機会があればエリクサーが本当にいる時代のお話も観てみたいです。

Be With Produce KIRALAN VOICE LAND VOL.16 『Spiral』考察・感想 1日目1回目

1/12・13 ヨコスカ・ベイサイド・ポケット

KIRALAN VOICE LAND VOL.16 MORGU × CHRONICLE Ⅰ 『Spiral』

 

 

 

※熊谷さんのファンの感想なので偏ってます

※主観満載です

※記憶喪失のためストーリーの正確さは保証できません

 

 

 

  今回は、キラランさんの新作脚本の初上演に推しが抜擢されたということで、前回のLOVE×LETTERSが本当に良かったこともあり、めちゃくちゃ楽しみにしていました。

 

 

 

  前回同様、2日間6公演、1日目と2日目で役を交換しての3公演マルチエンディング。会場は横須賀芸術劇場小劇場=ヨコスカ・ベイサイド・ポケット。前回は画廊などを開催するほどの小規模なフリースペースでしたが、今回は小劇場ということもあり会場の椅子や広さ、スタッフさんの対応が良かったです。すぐ近くにイオンやジーンズメイトがあったので時間をつぶせたのも好印象でした。

 

 

 

  私は1日目通しと2日目の3公演目を観劇しました。前回と同じく、台詞のそこら中にちりばめられた伏線を1回の結末ごとに回収していく展開でしたが、なんというか前回よりも、1つの結末のためにちりばめられた伏線がそれぞれに独立していたような気がします。だから、1回目だけ観ると疑問に思う点が多くあるように感じました。前回って、1回目でもけっこう納得のいく伏線回収だったと思うんです。もうほとんど記憶が無いので信憑性のかけらもありませんが。ファンタジー物なので、少し因果関係をぶっ飛ばしても目を瞑れるっちゃ瞑れるんですけど、それでも気になる点が1回目は多い。でも2回目を観ると、なるほど、この結末のための伏線だったのね、と納得できました。ただそれは1回目も2回目も見た人だから分かることで、2回目だけだと1回目で回収した伏線を回収していないので疑問に残る点がある。もちろん、3回すべてを観るなんて無理だと思うんです。私も今回は4回しか観られていないからあんまり大きくは言えないんですけど。それでも、やはりキラランさんの朗読劇は、3回すべてを通して見た場合と見なかったときでは感想が全然違ってくる作品だと思うので、もし推しが出演される際は1日だけでも通しで観て欲しい。あらためてそう思いました。

 

 

 

個人的には、LOVE×LETTERSは1+2=3、Spiralは1・2・3。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※以下、ネタバレしかないです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ストーリー》

 

魔女伝説が息づく町・モルグ。

 

探偵を生業にしているエリクサーの元に、レイスと言う行方不明の男を探してほしいと依頼が入る。手がかりは「絵本」と「指輪」。調査中にエリクサーは、ある集落へ辿り着くが……。(「kiraran16」より引用、「Be With Produce」http://www.bewith-gogo.com/kirakiraland/kiralan16.html(2019/1/17 アクセス))

 

 

 

  ダークファンタジーと聞いていたのでどんな方向で来るのかワクワクしていましたが、朗読劇で出来る範囲での良いダークファンタジーでしたね。推しの探偵役は今までなかったので新鮮でしたし、会場が広くなったことによってモニターの映像演出と効果音、マイクの使用と前回よりも演出面でのグレードアップも感じました。曲名リスト教えて下さい。

 

 

 

  物語の舞台となっている、モルグの街。モルグはフランス語で、“死体安置所”という意味だそうです。何となく調べたらこれが一番最初に出てきて、いやしんどかったです。それでゲシュペント村はどこの結末でも焼き尽くされているから、モルグ=死体安置所から焼かれるゲシュペント村に向かうのって、本当に死体を火葬する前の死体安置所みたいで恐ろしいですね。

 

 

 

《1日目1回目》

 

エリクサー:熊谷さん

 

レイス:ずんたさん

 

 

 

〇結末〇

レイスは20年前に死んでいた。村で疫病が流行り、死者が増えたのは村で唯一の医者だったレイスの母親が原因だと濡れ衣を着せられ、2人とも虐殺されていたのだ。虐殺される前、20年前の雨の日にレイスが出会ったゴーストは悪魔で、レイスの3つの願いごと(・復讐・再生)を叶えたら魂を奪うという契約を交わしていた。その悪魔がエリクサーだった。しかし、再生の願いを叶える前にレイスの魂が行方をくらましてしまう。そして20年後にモレラの森の奥にたどり着き、レイスが村人のいない幸せな村を再生した。そうして3つの願いごとを叶えたので、悪魔=エリクサーは魂を奪いに来て、レイスにすべてをネタばらししてから本を閉じた。

 

 

 

 1回目は1回目なだけに、説明をかっ飛ばした印象でした。雨の日に、どこでどんな経緯でどんな会話をして悪魔とあんな契約をしてしまったのか。何故、レイスは20年間も彷徨ってモレラの森の奥に辿りついたのか。貴族の末裔はどこに行ってしまったのか。村長はいつ帰ってくるのか。知りたいことが多すぎる。今となっては1回目のくまエリクサーがどのような演技をしていたのか朧げで己の記憶力のなさが憎い。他の回は結末によってお2人とも演じ方を分けていらっしゃったと思うので、ストーリーを把握した上でもう1回見せてくれ頼む。

 

 

 

   私は1日目の1回目しか観られていないので、くまエリクサーとずんたレイスの感想のみで失礼します。

 

 

  くまエリクサー、足を組んで座るのがデフォルトだったので、ずんだエリクサーもそうなのかなって思ったら一度も足組まなくて推しのデフォルトだと思ったOPでモニターにタイトルが映るときに2人が左右に座ってるとき、推しが足組んでる様が様になりすぎ様式美。

ずんたレイス、衣装で十字架のネックレスをしていたのでそれも相まって牧師にしか見えなかったです。

 

 

くまエリクサーは、絵に描いたような適当な探偵さんだったので、まぁ死ぬとしたらエリクサーなんだろうなと見てかかった私には衝撃の展開でした。いやそっちがラスボスなんかい!好き!もう適当な探偵から悪魔への変貌を遂げるシーンが好きすぎる。推しの悪魔の演技最高ありがとうございます。女神転生の神父様とか上カルビ様を彷彿とさせる方向の気持ち悪い演技!熊谷さんは上体を動かして演技されるので、上半身がゆらゆらしながらネタ晴らしをする演技が良かった!!!そしてそれまで私は絶対悪役だと思ってたずんたレイスがうろたえているさまが爽快だった。見事に騙されました。いやだってあんな、行方不明になった青年が終始ニコニコ丁寧に接して居たら2000年代のアニメに育てられた脳はこいつ絶対悪いやつだって判定をしてしまう。

 

 

 

  それはともかく、ずんたレイスの「おーいエリクサー」と呼ぶ声が今でも遠くから聞こえる気がしてこわい。

 

 

 

   エリクサー=悪魔がレイスの元を訪れる流れとしては、レイスが飼っていた黒猫のレジュメルスが依頼人として悪魔のもとを訪れて、飼い主であったレイスの居場所を教えてしまった。そもそも黒猫が依頼人としてきたこと自体、悪魔の作り出した茶番のひとつだったと思ってるんですが、大好きな飼い主の元へ飼い主の魂を奪う悪魔を向かわせてしまう役回りに黒猫をあてがう悪魔のらしいこと。でも、悪魔に駒の一つとして操られていたのだとしても、悪魔に伝えた「誰も信じてはいけません」という助言は、おそらくレイスに向けたメッセージだったんじゃないかなぁと思うんです。そうなると絵本のなかに挟んであった、手紙の内容が気になるところではありますが。結局のところ、レイスが初めて描いた絵本のなかでもあった、「使い魔候補の黒猫が蜘蛛の糸」という一文の「蜘蛛の糸」は、レイスではなく悪魔が引いてしまったのは、皮肉ですね。というか「使い魔候補」という表現の時点で、悪魔の使い魔という解釈もできるので、本当に悪魔のらしいこと。

 

 

 

  そういえば、魔女伝説というキーワードを回収をしたのは1回目だけだったかなと。レイスの母親が魔女として村人に虐殺される様を見た少年のレイスの心の傷といったら。そら死ぬ間際に復讐ぐらい望んじゃいますわ。ところで、村で疫病が流行ったのは、本当に偶然だったんでしょうか?それにしても、20年間も、まぁ悪魔にとっちゃ20年なんて瞬きぐらいの体感時間かもしれませんが、それでも時間をかけてあちこちを探し回って、やっと見つけたと思ったら盛大なネタ晴らしをするまでの茶番劇を緻密に練るほどに欲しい素直で綺麗な魂って、どんな色をしているんでしょうね。

 

 

 

   それはともかく最後のエリクサーが台本を閉じて、まさに絵本のなかのレイスの世界を閉じる演出がとにかく大好きです。熊谷さんの本の閉じ方も美しかったです。

注意事項

はじめまして。

 

このブログは、🐻さんのファンである作者が、Twitterにのっけづらい🐻さんのイベントレポートにも満たない感想文を発散するためのブログです。

 

🐻さんと伏せてはいますがイベント名などはがっつり載せますのですぐばれると思います。そもそも分かる人が読みに来るんだろうから説明しなくてもいいと思う。

 

🐻さんがどなたか分からない方、自分が参加できなかったイベントレポートが地雷の方、ネタばれ無理な方、作者の文章の書き方が気にくわない方はお戻りください。

 

この書き方からお察しの通り、作者はアメブロ大流行時代に生きていましたので、万が一読まれる方は読みづらいことを承知の上お読みください。

 

ってかこれ記事だから最初に読むか分からないのに注意事項書いてしまった。ナノ大流行時代も生きていたことをお察しください。サイト時代の書き方を忘れられない。

 

それではさっそく書き始めようと思います。