Be With Produce KIRALAN VOICE LAND VOL.16 『Spiral』考察・感想 1日目・2日目 3回目

《1日目・2日目 3回目》

 

 1日目

 

エリクサー:熊谷さん

レイス:ずんたさん

 

2日目

 

レイス:ずんたさん

エリクサー:熊谷さん

 

 

 

結末:エリクサーとレイスは同一人物のなかの人格。レイスが主人格でエリクサーに探偵という役割を与えて色々な問題を解決させたり、用済みのほかの人格(レイスの母親・村長・黒猫・ゴースト)を殺させた。レイスが「飽きちゃった」ので、エリクサーも消された。

 

 

 

幸運なことに、3回目は両日観ることが出来ました。

 

  くまレイスは幼い話し方でずんたエリクサーとは結構な年齢差を感じたので友達…?という感じでしたが、くまエリクサーとずんたレイスは親友ぐらい仲がいい印象でした。ずんたレイスが距離感を詰めると言うか人を絆すのが上手い。嫌でも親しみを感じてしまいました。そういえば、そもそもエリクサーはレイスの人格の1つなんだから人格掌握のコツなんてよく分かってるはずだから仲良くなれるのなんて当たり前なのか。

 

じゃあそもそも思い通りにならなくなった時点で殺しておけば良かったのでは?と思うけど、たまに怒りに身を任せてとんでもない行動に出ちゃう、みたいな感情の暴走を止められないこともあるので、そこまで完全に掌握は出来ないのかな~とも思うけど、レイスの最後らへんの余裕っぷりを見る限り、主人格という権利は絶対的なものなんだと感じました。

 

 

3回目のくまエリクサーは「母さんの首が入っていた…!」の台詞のところでニヤァッとしたので狂気を感じました。そのあとも、そうだよ俺がやってやったんだって感じで言葉と感情の高ぶりを進めていったので、もともとレイスのそういった感情の役回りを与えられた人格だったんだなぁと。その狂気じみた演技のおかげで、本当のネタバラシをされたときの手のひらで転がされる操り人形感がより濃く出ていたと思います。

 

朗読劇なので大きく動いたりそれぞれのスポットライトから出て演技することはありませんでしたが、台詞と表情と限られた範囲のなかでの表現を観ていて、ずんたレイスがくまエリクサーの肩をガッと掴んで煽ってる勢いを感じました。

 

 

 

一方でずんたエリクサーは、ずっと驚愕の事実に戸惑っている感じだったから弱々しい感じがしました。本当に俺がやったのか?現実を受け止めきれていない様子でした。自分が殺した事実や自分が自分のものではない恐怖に怯えている感じ。もしかしたらくまエリクサーが強い破壊人格で演じてきたので違いを出すためにずんたエリクサーは弱い人格で演じたのかもしれない。

ずんたエリクサーは抵抗心などあまり感じられなかったので、くまレイスに完全に遊ばれているイメージでした。

 

なんとなく、蹲っているずんたエリクサーの隣に座って下から顔を覗き込んで、はしゃいでるくまレイスの図が脳内で想像できました。

 

  

 

3回目はお2人とも、それぞれレイスに対する解釈や演技が違っていてとても良かったです。

 

 

 

とくに、自分こそが主人格であるとバラすシーンで演技の仕方が違ったと思います。ずんたレイスは、くまエリクサーの感情に合わせてときには声を荒げて煽り立てて追い詰めていましたが、くまレイスはひたすら楽しそうに遊んでいて、子供が言い訳をするみたいな無邪気さと冷酷さが見られてほんと良かった。

「ごめんね」と「彼のピアノを聴いていると心が安らいだ」という台詞の言い方が可愛すぎて死ぬかと思いました。

「飽きちゃった」の言い方は、ずんたレイスの完全に吐き捨てるような言い方が大好きすぎるのでもう1回言って欲しいです。

くまレイスの、あえて区切らずに言い流すニュアンスも、本当に飽きちゃったんだなって感じで好きでした。

 

 

 

3回目のずんたレイスは、座り方が1・2回目と違って足を投げ出して背もたれに背中を預けて本当に友人の前で気を抜いたような座り方をしていた気がしました。

 

 

 

ところで、レイスの母親の名前は3回目でしか明かされませんでしたが、おそらくエリス・ドレーンだったと思うんです。エリスという名前で調べてみると、ギリシャ神話の不和と争いの女神がヒットしました。戦いを好んだ女神だったそうで、優しく聖母のような母親にこの名前を付ける脚本家さんほんと。まぁこの脚本家さん付ける名前の意味がだいたい直球過ぎて調べれば調べるほどしんどくなるんですけど。

 

 

 

そういえば3回目のずんたエリクサー、黒猫をじゃらしてるときの方向がくまエリクサーとは逆方向だったな、と思い出しました。ちょうどライトから外れた暗いところに向かって演技されていたので、草むらに見えて良いアレンジだったなと思います。そのあとくまレイスがずんたエリクサーが黒猫をじゃらしていた逆方向から出て来るので、個人的には観客を飽きさせない変化をつけてて好きでした。

2日目の1・2回目はどうだったのか分からないので、くまエリクサーと分かりやすく対照的にさせるためにやられていたのかもしれませんし、3回目の結末の1人の人間という点から対照的に見せたかったとも考えられますね。お互い同じ役を演じるにあたって意識した点なども知りたかったです。

 

 

 

ところで七人の勇者の話が出てきたけど、3回目に出てきた人格もちょうど7人だなぁと。村長・レイスの母親・黒猫・ゴースト・エリクサー・レイス。別に意味はないと思うけど、お互いを消し合うという展開としてはレイスの先が見える気がした。

 

 

次は本当に個人的な感想と考察です。